【エッセイ】愛しか込められねえ

暮らし

愛しか込められねえ。ということに、気づいてしまった、いややっと気づいたというべきか。

わたしは、わたしが書く記事に愛を込めることしかできない。人様に何かを教えられるほどの学も無ければ、突出した才能もない。そんな自分が伝えることのできるものって何だ。愛しかないじゃないか。

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きっかけは、とある後輩くんのLINEのタイムラインだった。

「あなたは、アウトプットをしていますか?」

いきなりどうした。投稿を見て一番に思ったことだ。
その他にも、自己啓発系の内容なのに肝心の具体的な方法について何も書かれてないじゃないかとか、そもそも何でLINEのタイムラインでやるんだよとか突っ込みどころが満載だった。でも笑うことはできなかった。
きっと何か変えたくて、色々もがいた末に起こした行動なんだろうなと思ったからだ。
でもだからこそ正直な感想を言おう。

この投稿って、誰が見るんだ。こんなどこにでもあるような、誰にでもかけるような内容を、わざわざやる必要があるのか。

全て特大ブーメランだった。推しの記事を作っていくにあたって、思ったこと全てが自分に突き刺さった。
すぐ自覚できるほどには、自分自身が迷っていたし、自信がなかった。

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ブログのような、ライターが書く文章からは個性を消すべきだ。
記事を書くにあたって何冊か本を読んで勉強したが、初心者ライター向けの本によく書いてあることだった。
情報を伝えることが最優先で、ライターの個性はどうでもいいことだから、と。

なるほどと思い、例に倣ってブログの文章からなるべく個性を消して、標準的な文章にした。ありふれた、よく見るブログの感じに寄せていった。

けれどずっと思っていたことがある。わたしが書いたこの記事、逆の立場だったらわたしは読むんだろうか。きっと読まない。
そもそも普段、わたし自身がブログをあまり読まない。
そんなわたしが時々読むのは、同じオタクの方が書いた自ジャンルへの熱い思いを込めた文章とかだ。
読む理由はそのジャンルが分からなくても読んでいて楽しいから。正直用語を詳しく説明されても詳細は全然分からないのだが、とにかく「好きだ」という思いが伝わってくる。

それが好きで好きでたまらなくて、幸せだという思いが伝わってくる。だから読むのだ。
そういう文章は分からなくても続きがあったら気になるし、読んでしまうと思う。

ふと自分の記事を見返してみた。取り扱っている内容やテーマにもよるだろう。だけど、こんな誰が書いてもいいような書き方で、一体何が刺さるんだろうか。こんな、面白味もない文章で。

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最初はどうだったんだっけ。推しの適当なまとめ記事が出て不快だった。うっかり推しを批判するツイートを見てしまった。
嫌だった。だからその分、好きだって伝えようと思った。
昔からファンレターを送るだとか、コメントを残すとかしない方だったけど、勇気を出してコメントを送った。
緊張したのは最初だけだった。それからはどんどんコメントを残した。大勢の中に埋もれてもいいのだ。

棘のある言葉一つを心の中で消化するのに、賛美の言葉はきっと何倍の数も必要だろう。たくさんの賞賛の言葉の一つになって、少しでもそんな棘が消せたらいい。そう思って言葉にしてきた。

わたしがやりたいことは、ただひたすら愛を伝えたいことなんだとやっと気づいた。というか自分に出来ることはそれだけだ。

有益な情報をとか、多くの人に知ってもらいたいだとか、そういう思いももちろんあるけれど、わたしの根っこにあるのは愛なんだ。
もう文章を綺麗にするのはやめようと思った。だってそんなことがやりたいんじゃない。好きだって勢いのまま伝えたい。

そう思ったら、記事を書くのがめちゃめちゃ楽しくなった。わたしはどうやら、自分で自分の気持ちに蓋をしてしまっていたらしい。

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SEOの対策をすることは大切だ。ガセまとめ記事を下げたいと思うならば。たくさんの情報を正しく伝えることも。
でもそれと、わたしの個性を殺すことは、わたしの場合は正解じゃない。わたしは、わたしの感情を素直にそのままに書いていく。
それしかできない。わたしは、あなたのことが好きですって言うしかできない。
でも、それでいいんじゃないかと思う。小さな一言かもしれないけど、もしかしたら推しの心に刺さった棘を、一本くらい抜けるかもしれないから。

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